式内 久奈子神社
概 要
社 号 久奈子神社
読み:くなこ
延喜式神名帳 式内社 出雲国神門郡 久奈爲神社
読み:クナヰ
所在地 島根県出雲市古志町2254
旧地名 出雲国神門郡
御祭神
伊邪那美命(久奈爲社の祭神)
合祭
速玉男命(久奈子社) 武甕槌命(三武社) 大年命(大年社)
事解男命(久奈子社) 誉田別命(八幡宮) 保食命(櫃森社)
合殿
建御名方命(諏訪社)
例祭日 10月15日
社格等
『延喜式神名帳』(式内社)
山陰道:560座 大37座(その内 月次新嘗1座)・小523座
出雲国 187座(大2座・小185座)
神門郡(カムト):27座(並小)
『出雲国風土記』「久奈爲社」
近代社格制度 旧村社
創建 天平5年(733)『出雲国風土記』に「久奈爲社」と記載があるのでそれ以前
本殿様式 大社造変態 銅板葺
境内摂末社(祭神)
天満宮・稲荷神社
一口メモ
県道277号線古志町を南へ。参道は小山の西の細い道から入り石段が見える。そこを右に車道が神社まで続いて駐車場がある。久奈子神社と女の子の名前みたいでかわいらしいが、元は男の神様で久奈爲神社と久奈子神社が一緒になったようだ。
歴史・由緒等
出雲国風土記、延喜式神名帳に載っている久奈爲社は、奈良朝以前久留須山に、久奈子二社は上新宮に鎮座していた。
その後年代は詳らかではないが久奈子二社が現在地の久奈爲社に移り、この三社が一つになり久留須三社となった。
江戸時代になってからは久留須権現、久留須三社明神とも稱せられていた。
明治5年神社制度改正に当って、社号を久奈子神社と改稱し村社に列せられた。
続いて明治7年には三武社・大年社・八幡宮・櫃森社が合祭、諏訪社が合殿奉祀され、爾来今日まで古志地区民の氏神として崇拝されている。「社頭掲示板」
境内・社叢
社号標
狛犬
社頭掲示板
拝殿
拝殿・本殿 本殿
左手境内社 天満宮 右手境内社 稲荷神社
地名・地誌
古志(こし)
かつての神門郡古志郷。現在の出雲市知井宮町、古志町、下古志町、芦渡町、塩冶町南側、天神町南側辺り。
『出雲国風土記』神門郡の条に、
『古志の郷 即(すなわ)ち郡家に属(つ)けり。イザナミ命の時、日淵川(ひぶちかわ)を以(も)ちて池を築造(つく)りき。その時、古志の国人等(くにひとら)、到来(き)たりて堤(つつみ)を為(つく)りき。即(すなは)ち、宿(やど)り居(ゐ)し所なり。 故(かれ)、古志といふ。』
「古志郷の地名の由来は、古志の国の人たちが来て、堤を造ったが、その後そのまま住み着いたので古志と呼ぶようになった。」
しかし、この「古志」を「越前・越中・越後」を指す「越」と同じとするには、疑問を呈する指摘がある。つまり、イザナミ命の頃の話とされその頃に、「越」という国がこの列島の中にあったのか。風土記にいう「越」というのは、中国大陸の「越(エツ)」ではないのかという。
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